■ 武士になって、この国を変える

江戸時代は、厳しい身分制度に縛られた社会だった。
武士は他の職業よりも身分が上で、政治を行う階級とされており、苗字や刀をもつことなど、さまざまな特権が与えられていた。
武士の家に 生まれた子は武士に、農民の家に生まれた子は農民に。
親の仕事をそのまま受け継ぐ「世襲制」 なっており、基本的には、他の職業に就くことはできなかった。

1840 (天保11)年、渋沢栄一は、武蔵国榛沢郡血洗島村(むさしのくに はんざわぐん ちあらいじまむら)現在の埼玉県深谷市に農民の子として生まれた。
家では農業のほかに、絹糸のもとになる蚕を育てたり、布を藍色に染める染料を作ったりしており、比較的裕福であった。
ここで栄一は、幼いころから文字を学び、また剣術の習得にも熱心に取り組んで育った。

17歳になったある日。
栄一が住む村の領主が、栄一の家をはじめとする裕福な農家に対して、御用金を差し出すように申しつけてきた。
御用金とは、領主がその土地に住む人々から借りるお金、すなわち借金のことであるが、実際には返済されることはほとんどなく、いわば寄付の強要のようなものであった。
栄一は、病気で寝込んでいた父の代わりに、この呼び出しに応じて領主のもとへと出かけて行った。

「この度、殿様の娘がお嫁に行くことになった。何かと費用がかかるゆえ、そのほうに御用金500両を申しつける。おめでたいことであり、大変なな誉であるからありがたく差し出すように」

役人は横柄な態度で栄一を見下すように言った。
武士の家に生まれたというだけで、なぜこれほど衛そうにしているのだ。
しかもそっちは、お金を借りる側じゃないか。
怒りを覚えた栄一は、すぐに「はい」とは答えなかった。

「自分はただの代理ですから、今日は金額だけお聞きして帰り、御用金を差し出すかどうかについてはまた後日、お返事にまいります」

それから数日後、結局は、領主に逆らっても仕方がないという父の判断で500両の御用金を支払うこととなったが、栄一の怒りは収まらなかった。

「同じ人間だというのに、身分が遺うというだけでこんな扱いを受けるのはおかしい。このまま農民のままでいてはダメだ。俺は武士になる」

ただ武士になりたいというだけではなかった。
武士がいばる、このような仕組みを作った江戸幕府が悪いのだと考えた栄一は、この国そのものを変えたいという野望を抱くようになった。
そして また、こうした思いは栄一だけでなく、日本各地に住む、多くの商人や農民が感じていた怒りでもあった。

【出典】
 Gakken
 マンガ&物語で読む偉人伝 渋沢栄一

 

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