■ 実業家として数々の会社を立ち上げる

実業家として、まずすべきことは、銀行の設立だ。
役人時代から準備を進めてきた栄一は、退職 して2ヶ月後の1873年(明治6年)、東京・日本橋に日本で最初の銀行・第一国立銀行(のちに 第一勧業銀行となり、現在はみずほ銀行)を開業させた。
34歳の時のことである。
日本で初めて作られた仕組みであっただけに、銀行はいくどとなく倒産の危機を迎えながら、ど うにか軌道に乗せることができた。
やがてそれは全国へと広が っていった。
新しく立ち上げられる 銀行のために、各地へ講習会に行く栄一。
そこで彼は、これだけは忘れないでほしいと、次のよう な言葉を繰り返し伝えた。

「銀行は、産業を興すのを助けなければなりません。それが銀行の本分なのです」

こうして全国にできた銀行が、人々の持つ「しずく」を集め、大きな川の流れとし、数多くの産 業を生み出す原動力になったことは、言うまでもない。
また銀行の設立とほぼ時を同じくして、栄一は本や新聞、書類や紙幣などに使われる上質な紙を 作る製紙業も興している。
現在の王子製紙(王子ホールディングス)だ。
また、商業に関する教育 を充実させるため、商法講習所(現在の一橋大学)を設立。その他にも、東京株式取引所(現在の日本証券取引所)や、大阪紡績会社(現在の東洋紡)など、さまざまな企業の立ち上げに尽力した。
それだけではない。
東京海上保険会社(現在の東京海上日動火災保険)、日本郵船、東京電灯会 社(現在の東京電力)、東京瓦斯会社(現在の東京ガス)、帝国ホテル、札幌麦酒会社(現在のサッ ポロビール)、日本鉄道会社(現在のJR )など、実業界を引退するまでに立ち上げた会社の数は、なんと500社近くに上る。
栄一が「日本資本主義の父」あるいは「実業界の父」と呼ばれるゆえんである。
次々に会社を立ち上げた理由は、ひとえに、国を曲豆かにし、人々を幸せにするためだ。

「企業の 目的がお金もうけのためであっても、その根底には道徳が必要であり、公共に対して責任をもたな くてはならない」

という考え方を、栄一は常に念頭に置いていた。

「道徳経済合ee 」という言葉も、 栄一はよくロにしている。 道徳的なものの考え方と経済活動は、常にひとつであるべきだという音一 味だ。
会社を興すのと同時に、栄一は日本社会全体に、この考え方を広めたいと考えていた。
今も栄一が、多くの実業家や社長たちから尊敬を集める理由は、このように仁義や道徳を重んじ た姿勢にあると言えよう。

【出典】
 Gakken
 マンガ&物語で読む偉人伝 渋沢栄一

 

STORY

CONTENT