■ 尊王の志士として

その頃、江戸幕府は大きな問題を抱えていた。
アメリ力からペリー提督が大艦隊を率いてやってきて、日本に開国を迫ってきたのである。
それまで一切、外国との付き合いをさけてきた江戸幕府だったが、その圧倒的な武力に押し切られるようにして、日米和親条約を締結。
アメリ力をはじめ、 オランダやロシア、イギリス、フランスとも貿易をすることとなったのだった。

「おどしに負け、朝廷の許しもなく、外国と付き合う幕府は腰抜けだ、けしからん」

「いや、これからは、外国とも付き合っていかなければならない」

日本中の人々の音一見は、真っ二つに割れていた。
栄一は、幕府のやり方が許せないと考える側、つまり「尊王援夷」(天皇を尊び外国人を退けようとする思想)の考え方をもっていた。

「この国を変えるためには、大騒動を起こして幕府を倒すしかない。
 そうなれば、家柄ではなく能 力が重んじられる、正しい社会が生まれるはずだ」

栄一は、同じ考えをもつ仲間たち約70名を集めた。
まずは自分たちが住む場所から一番近い高崎城をのっとり武器を集める。
その勢いで横浜へと走り、そこに住んでいる外国人の町を焼き払い、かたっぱしかり外国人を斬り殺す。
そんな無謀な計画を立てたのであった。

しかしその直前になって、仲間の一人が京都から戻ってきた。
最新の国内情勢に詳しいその仲間によると、この計画に成功の見込みはないという話であった。
自分の命を投げ出しても構わないと思っていた栄一は、激しい議論を戦わせるが、結局は仲間の助言を受け入れ、計画を中止としたのだった。

それでも計画そのものは、幕府側にばれていた。

「このまま村にいては危険だ」
栄一は村を離れ、京都へと向かった。

その京都でいよいよ幕府の追っ手に捕まりかけたその時、栄一に救いの手を差し伸べた者がいた。
栄一をよく知る平岡円四郎という人物だ。 平岡は、徳川家に近い御三卿のひとつ、一橋家に仕える用人であり、当時、国内でも指折りの実力者であった。
「助かりたければ、一橋家の家来になれ。
 一橋家当主の慶喜公は非常に優れた人物で、幕府側の人間とはいっても、他の者たちとは違うぞ」

それまで倒そうとしてきた、幕府側の人間になる。
それでは、仲間たちから信念を曲げたと非難 されても仕方がない。
栄一は、悩みに悩んだ。

「幕府を倒そうと意気込んでみても、結局は何もできなかったり、命を落としてしまう者も多い。
 世の中を変えるためなら、徳川の内部から働きかけるというやり方もあるのでは」

こうして栄一は、平岡の申し出を受けることとしたのだった。
武士になりたいと思ったのも、幕府を倒したいと思ったのも、その思いの根底にあるのは「日本をよくしたい」という、ただその一念だ。
結果として、栄一は一橋家の家臣となることで、武士になったのだった。
25歳の時のことである。

【出典】
 Gakken
 マンガ&物語で読む偉人伝 渋沢栄一

 

STORY

CONTENT